バルハシ観光
深夜3時20分
深夜、バスのガラスが割れたような音で目を覚まします。バスが急停車したと思ったら直後にガシャン!!とかなり大きな音がしたので一瞬で強盗だと思い身構え心臓もバクバクしましたが、車内の蛍光灯近くのステンレス製の枠?みたいなのが外れたようでそれが落下した音でした。壊れる前にドライバーが停まったと思ったんですが…はて。何より強盗じゃなくて本当によかったです。
真っ暗で見えませんが、周りはたぶん一面荒野。街灯はなく、遠くに見える小さな光は街なのか公衆トイレかなんかの電気?というのもごく稀に工事現場とかはあったので。一直線に続く道路に舗装されていないガタガタの道。天井の窓が開いていたのでいつの間にか暑さはなくなり風も吹き込んでいましたが、ステンレス製のその金具を床に置いてからはカタカタうるさく、現地人が気を利かせて上の荷物置き場に置いてくれましたが棒状のそれは車が揺れるにつれて荷物置き場からはみ出し、先っぽが私の方を向いていたのでこっちに落ちてきて寝ている自分に突き刺さるんじゃないか心配で寝れませんでした。
窓の外をのぞき込むと満点の星空。濁った窓ガラスからでもこんなに綺麗に見えるなんて…。
4時10分
4時40分
この国はなにもないなあ。ラオスとは違って、文字通りなにもない。なにもない場所が延々と続いております。
7時半到着。
無事早すぎない良い時間にバルハシのバスターミナルに到着しました。宿はここから歩いて2㎞なのでちんたら歩いて向かいます。
いきなり舗装がなくなりました。アルマトイはあんなにオシャレな街だったのに、いきなり予算がかけられてない感じ丸出しです。いいんでしょうかこれで。
ところでこのバルハシ、バルハシ湖があるので現地人は泳ぎにくるようですが外国人観光客がくるような街ではないっぽいんですよね。実際街と書いてますが小さな町です。人はそんなに多くないし、雰囲気もどこかのんびりしていて穏やかです。
そういうわけでこの町には安宿がなく、ドミトリーがなかったんですよ。だからね、高い宿しかなくってですね、私はいつもホステルとかってとこに泊まるんですけど今回はホテルを予約してましたね。すっごい高いんですよ。ツインルームなんですよ。恥ずかしいんですよ、値段書くの。こいつ貧乏なのにこんな高い宿泊ってんのかよって。でも死ぬ前に自分のブログを読み返して、ああこいつちっぽけな額で悩んでたんだあってあとでちゃんと思い返したいんですよね。
33$のお宿です。
ひゃー!無駄なツイン!エアコンもばりばり効いて超快適です。
というわけでバルハシ1泊しかしないので観光にいかなきゃいけないんですけどね…こんな立派な宿ですぐに観光に出かけるのももったいないんじゃないかなって思っちゃってですね、夜行できたしちょっとくらいいいかなって昼寝をかましました。
ちょっとだけのはずが13時頃までごろごろしてしまい、街歩き出発です。
バルハシ鉄道駅。ここで翌日のカラガンダまで移動するチケットを購入。
絶妙なクオリティ
バルハシの文化会館。日本人抑留者が建設に携わったそうです。横には抑留者と思われる像がありました。
バルハシ湖。かなりの人で賑わっていましたが、近づいてみるとそんなに綺麗ではないような…?
遠くに見える治金コンビナートの煙突群。渋い。
誰だね君は。
レーニン像と今はもう撤去されたスターリン像。スターリン像の周りは草が生い茂り、そこだけもう時が止まったかのような雰囲気でした。
抑留者?
とまあお気付きの通り、この町にはかつて抑留者ががたくさんいたそうです。実際バルハシで検索すると旅行記なんかよりも抑留体験記がたくさん出てきます。近くに鉱山がありそこで働かされた抑留者たち、かなり日本人もいたそうです。抑留者だとかソビエト抑留って私よく知らなかったんですよね、正直。学校で習った気がしなくもないけど、テストに出るようなほど重要なことではなかった気がします。でも常識としてこれくらいは知っておかなきゃいけなかったんですけど。
カザフスタンと言うと観光地も見どころもそれほど多くないですが、実際に来てみてこういった建築物なんかも見れて良かったです。来なければ、きっと私は一生知らなかった事象だろうなあと思います。
世界大戦中の戦車。
慰霊碑
というわけで色々まわって夜ご飯です。看板に本当にお寿司がありますね。
適当にお持ち帰りをして、部屋でビールと一緒にいただきました。ビール、水よりも安い世界に来ました……。
明日は再び夜行列車で移動です。