3日間で38時間移動した話

3月18日

この日はシーポーからマンダレーに帰らなければいけない日でした。

というのもマンダレーからミャワディ(タイとの国境の街)までの直行バスが出ているとわかったからです。マンダレーやインレー湖あたりからミャワディまで行くとなると、ヤンゴンだったりパアンあたりで乗り換えなきゃいけないと思っていたので(実際ネットで直行便がある情報は見当たらなかった)、一度きた道を引き返すというのはあまりしたくなかったんですけども帰ることにしました。

選択肢としてはバス、ミニバン、鉄道の3択でして特に帰る以外に何も予定がなかった私は時間はかかるけどお値段が一番お手頃の鉄道を選びました。ただ、11時間かかると聞いていたのでアッパークラスを選んでちょっといい座席をチョイスしました。3950K(約300円)でした。

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座席は来たときのオーディナリークラスの硬いものではなくフカフカで、叩けばしっかり埃が出るまるで自分のようだなというような椅子です。ちなみに隣は終始空席で快適な時間、になるはずでした。

 

9時半過ぎに乗り込んだ鉄道も16時過ぎでしょうか、ピンウールィンに到着。朝食から水しか口にしていなかった私は、売り子の少年から揚げられた何かを買います。中にはあんこが入っていてもちもちしていて美味しかったです。

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これが10円なんてまあお得!なんて思っていたのもつかの間、みるみる具合が悪くなってきました。最初は酔ったかな?と思い酔い止めを飲んだのですが聞く気配もなく吐き気がしてきました。ただ、私としてはどうしても公の場で吐きたくない。袋も持っていないし、窓から顔を出そうにもたまに岩や木枝スレスレのところを通過するのでタイミングが悪ければ顔が吹っ飛ぶかもしれません。陽も落ちて結構暗くなってきたタイミングでした。

 

少年から買ったお菓子が入ってたすんごい小さい袋に吐きました。

いやあ、念のため広げとこと思った瞬間にお菓子の匂いが鼻に入りだめでしたね。小さい袋でしたがここぞとばかりに集中力を発揮し綺麗に収まりました。そしてほぼ無音だったため、周りの乗客も多分私が吐いたことに気付いておりません。問題があるとすればこの袋が透明なことくらいです。

 

吐いてすっきりした私は気分を良くし安室ちゃんなぞ聞きながらマンダレーを目指すのですが結論を言えばもう一度吐きました。マンダレー市内に入ってからで、吐く!と思った瞬間車窓から見えたものは踏切とそこに留まる数十台の車とそれ以上の数のバイクで、あいつらの目の前で吐く訳にはいかん!と出てきたものを一旦飲み込むも勢いを増してまた出てきて持っていたクッキーの袋に噴射させました。まあ数秒遅らせただけでも目撃はたぶんされていなかったのででかしたぞー!という感じです。クッキーは無駄にしてしまいましたが…

 

というわけでゲロ袋2袋を片手に21時頃マンダレー駅に到着した私は客引きに初めて「お願いだから今話しかけないでください」という断りを入れながら勝手知ったるホステルまで歩きました。

ちなみに駅に着いた時の安室ちゃんはというと

How do you feel now? How do you feel now?

と歌っていて、私はあ”む”ろ”ち”ゃ”ん”わ”た”し”具合悪いですうううううとなっておりました。最後を飾るにふさわしい曲でした。

ホステルでは仲良くなったスタッフが待っていてくれて(よくわからない流れでこのあとビールを飲みに行く約束になっていたので)、現地のポカリのような粉末をくれたり大変よくしていただきました。ホテルについてからのほうが嘔吐が収まらず、運悪くトイレと自分の部屋が違う階だったため、洗濯物の袋に吐き出すなどもうあんだけいらない袋たくさんあったのになんでこんなときに袋みつからないんだよと思いながら、寝ました。足はガクガクするし呼吸も苦しいし喉が渇くので水を飲むけどそれもすぐ出てくるのです、あーやばかった。

 

3月19日

朝起きると、胃が痛くなんだか足元もまだおぼつかないです。水分を摂ると少し吐き気。でも18時発ミャワディ行の夜行バスに乗らなければならないのでチェックアウトギリギリまで布団で寝て、チェックアウトしてからも共有スペースで寝かせてもらいました。

この日食べたものは朝食のバナナとご飯3口だけです。

 

約束すっぽかしてごめん、またマンダレービール飲みに帰ってくるねとお世話になったスタッフに適当な約束をしなんだかんだ一番滞在した都市マンダレーを出ました。意外とこういう約束のほうが守られてしまいそうで少し怖いです。

 

夜行バス

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ノーマルバスというので少し心配していたらまあまあ立派でした。 フロントガラスは割れてましたけど。

 

スタッフによるとミャワディまでは14時間とのことで明日朝8時頃には着くはずです。ミャワディから歩いて国境を渡り、タイのメーソートに戻り午前中ならまだバンコク行のバスがあるだろうとふんでいた私はなんとなく頑張れそうな気がしていました。少しずつですが体調も回復してはいたので。 

 

3月20日

ミャワディに着いたのは結局お昼ちょうどでした。まさかの18時間移動。キングオブ深夜バスはかた号もびっくりでございます。

夜朝2回あったご飯休憩もすっかり食あたりに怯えた私はゆでたまごくらいしか食べておらず、挙句の果てには国境の2kmほど手前で降ろされてしまいました。マンダレーは北部だったのでまだそこまで暑くなかったですが、一気に南下してきたのでかなり気温も暑く湿度も高く感じます。またも意識朦朧としながら国境まで歩きます。

結局ふらふらになりながら1時間かけて国境に到着し、無事ミャンマー出国。苦い最後になりました。

 

国境の橋のちょうど真ん中あたりで、吐きそうだ~とぶつぶつ言いながら歩いていたら車線を管理してるおじさんが私を呼び止め、おうおう暑いよな!座ってけ!と椅子を出してくれてお水までくれました。お言葉に甘えて一休みさせてもらい、少し落ち着いたのでまた歩いてタイに入国しました。歯が赤く染まっていたのでミャンマー人だと思うのですが、最後まで優しかったです。

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一瞬で飲み切ってしまったけど、絶対に600mlもない。

 

その後はなんとかメーソートのバスターミナルまで移動し、バンコクまでのチケットを探すも夜行バスしかなく2夜連続の夜行バスが確定します。19時20分発。

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バスの外見は豪華でしたがこちら意外と曲者で、シートは今まで乗ったどのバスよりも固く足元も狭かったので快適ではありませんでした。なによりも前の座席に座っていた人がリクライニングをマックスで傾けるので私の膝ががっつり固定され身動きがとれなくなってしまい、さあお前をぶん殴るくらいの体力はまだ残っているぞと思いましたがバスが急ブレーキを踏むとリクライニングがふぁ~と戻っていくのでバスのぼろさに感謝です。そのあとは私の膝ブロックによりリクライニングを阻止しましたが、あいつ隙あらば急に仕掛けてきますので眠れぬ夜となりました。

 

3月21日

バンコクに到着したのは朝3時40分でした。

いやあそうですよね…メーソートのチケットカウンターのおばちゃんに、バンコクまで何時間ですか?と聞いたら「エイトオクロック!」と言われたので、8時に着くのか、8時間なのか…と思っていたんですけど、メーソートからバンコクまでそんな遠いわけないですもんねー。

私の前の座席に座っていたのは小柄なおばさんかと思っていたのですがまさかの少年で、ふらふらの私でもまだお前に教育を施すくらいの力は…と思っていましたが奴は颯爽と消えていきました。走って追う力はありませんでした。

 

バスターミナルは次から次へとバスがやってくるので人は多く、その辺でうとうとさせてもらって5時少し前あたりからバスで移動開始しました。こんな時間だったので渋滞もなく5時半にはホステルに着いてしまい、もちろん空いてないので外のベンチでうとうと。

運よく早朝チェックアウトする人がいたみたいで、6時には宿に入れました。

 

いや~長くて大変な移動でした。長いだけならまだしも、体調が悪かったのが最悪です。食あたりから始まりましたが、ミャワディあたりからは熱中症もあったんじゃないかなあと思います。今回予防接種の関係でミャンマーきつきつになってしまい余裕がなくなってしまいましたが、移動には余裕をもったほうがいいですね。

 

反動ですっかりだらけきり、財布の紐がゆるゆるでバンコクの日々を過ごしております。まあその辺はのちほど。