恐ろしい街ビシュケク
『日本人宿』という存在をご存知でしょうか。
海外には日本人宿と呼ばれる宿があり、オーナーは現地人であったり日本人であったりまちまちだそうですが、なぜか日本人が集まる宿を指すそうです。この日本人宿、東南アジアに多く私は今までひたすら敬遠してきました。一度カンボジアのシェムリアップで宿を替えなければいけないとき、その日の最安が日本人宿だったのですがあえて高いところを選んでまで避けました。まあ理由は色々あるんですけど、なんだか東南アジアの日本人宿は大学生やキラキラした若者がたくさんいそうだし、ある意味誰に気を使わなくていいはずの海外旅行で日本人に会うと日本流にそれなりに気を使わなくてはならないし、もちろん日本人が嫌いというわけではないですけども人見知りということもあってそういった宿は今まで避けていました。
今いるビシュケクには日本人宿が3件あり、私はそのうちの1つ『南旅館』という宿に滞在しております。なぜ南旅館に来たかと言いますと、一緒に国境を越えたメンバーが全員ビシュケクでは南旅館に滞在すると言っていて、私は「えー日本人宿…いじめられたりしないですか?」と謎の質問を兄さんに繰り出していたのですが今回どうしても行かざるを得なくなりました。何故ならサリタシュで私は兄さんに金を貸したので、1泊分の宿泊費と1本のビール代を集金せねばならなかったのです。サリタシュにATMなんぞなくて、オシュでは別々の宿にいたので…。
せっかくだから一度は日本人宿も体験してみたいし、まあ知り合いがいるなら大丈夫だろうとのことで南旅館に足を運ぶことに。かなり気が重かったんですけど。そして結果、見事なにもしてないのに5連泊という見事な沈没っぷりでございます。
南旅館は1泊350ソム(約550円)、正直施設を考えると安くはないのですがここに長期滞在しているF氏がとてもおもしろい方でその人のお話を聞くための宿泊費といっても過言ではないと思います。F氏は博識な方でどんな質問をしても必ず答えが返ってくるような人です。
私「(蚤の市にて)これなんのピンバッジですか?」
F氏「これはソ連時代の自警団ので、これは第〇回共産党大会の記念バッジ、それでこれは地元のサッカーチームの・・・」
私(おお・・・)
私「(街を歩いていて)ビシュケクはロシア系の人も多いんですねー」
F氏「ロシア人が昔ここにはいましたからね。でもロシア人と同じ容姿でタタール人というのもいます。キルギス人は鼻が低くて長いなべやかん顔です、それキルギス人です。朝鮮人もいます。」
私(ほお・・・)
私「(団地の前にて)猫かわいいですね」
F氏「こいつはいつも腹を空かせてますが飼い猫です」
私(そんなことまで・・・)
というくらいまじでなんでも知っている方です。ビシュケクの街のことから民族的なこと、食事のこと、中央アジアのビザや観光情報なんでも教えてくれます。
というわけでこれから向かう国は(昔ほどではないにしても)ビザが必要な国も多く、滞在費も安いことからここビシュケクに長居してビザ申請をするため大使館に走る人も多いようです。実際私もアゼルバイジャンとトルクメニスタンのビザを申請しますた。人によってはタジキスタン・イランなんかのビザもここで申請してます、っていうかイランに関しては私以外はほぼ全員行く勢いです。私もイランはとても行きたかったけど、今暑いみたいなのでやめました。散々暑い国は通ってきましたが、暑いうえにスカーフで頭を隠してさらに長袖を着るなんて倒れてしまいますから。次回にします。
今回申請したビザですが、まずはアゼルバイジャンビザです。
といいますのもトルクメニスタンビザは5日間だけ入国できるトランジットビザというものを申請するためです。トルクメニスタンの観光ビザは北朝鮮方式と超めんどくさいらしく(招待状・入国後もガイド必須でかなり高額)、みんな「あなたの国は**から〇〇へ通過するだけですよ~」という名目でビザをとりその許された5日間でダッシュで観光するというやつです。だいたいの人はウズベキスタンから入国してアゼルバイジャン/イランへ出国するはずです。トルクメニスタンビザを申請するまえにこのどちらかの国のビザを取得する必要があります。ちなみに私が向かうアゼルバイジャンは空路で入る場合はアライバルビザが取得できますが陸路入国の場合は事前に申請が必要です。まあ私はネットでちょちょいと申請して、申請から1日半くらいでビザとれたわよーとメールの返事がきましたのでそれでOKでした。手数料24$。
で、トルクメニスタンのビザ申請は実際に大使館に向かう必要があるのですがそれはまた後日です。お前5日もビシュケクにいたって書いてたけど何してたんだっつーと特に何もしませんでした。だから5日分をまとめて書いてるのです。ふふん。
実際は音楽祭にいったり、オペラを見に行ったり、蚤の市に行ったり、F氏のお買い物について行ったりと毎日外出はしたのですがね。あとは中心部に観光も。写真だけ載せたいと思います。
ビシュケクは素敵な街で高層ビルとかないので首都っぽさはないけれど緑が多くて住んでいて気持ちよさそうだなと思います。あとは人種的にロシア人がかなり増えて、オシュでみた髪をスカーフで覆う女性たちはかなりの少数派になりました。見ないことはないですけどロシア人がほとんどです。オシュとビシュケクだけ見たら同じ国には見えないです正直。あとは言葉も、国境あたりにいたキルギス人に「サンキューはラフマットだ!」と教えられたのですがビシュケクでは「スパシーバ」もよく聞きます。私も顔を見てなんとなくどっちを使うか判断してますが、今思えばオシュの人たちはタジクとかウズベクの人だったのかなとも思います。
では写真です。
音楽祭
蚤の市
南旅館のある団地。モザイク画。
なぜか団地にいた亀。見たのはこのときだけ。
オペラ
街中心部
F氏のつくるシェア飯
F氏、博識なだけではなく料理もかなりお上手でめちゃくちゃ美味しくてかなりの量の料理を毎晩作ってくれます。毎日みんなでお手伝いですが基本的に買い物は荷物持ち、料理は野菜の皮剥いたり切ったりとかその程度です。実際5日間もビシュケクを出られなかったのは胃袋つかまれたせいです。だって海外でもつ鍋なんて食べれると思わなかったし野菜ごろごろ入ったカレーもめちゃくちゃ美味しかったしなんかもう毎日の食事がこんなに楽しみな日々はなかなか生きてる中でないですよ。翌朝は前日の余りで済ませることも多かったので正直未だにキルギス料理が何かはわかっておりません。ははは。
翌日の朝までカバーできるほど作っていただいて75ソム(120円)とかで済んでしまいます。1日の生活費が1000円いきません。
こんな幸せな日々を過ごしましたがいつまでもだらだらするわけにはいきませんから、南旅館に大きなザックを置いて明日からイシククル湖周遊におでかけしたいと思います。